七ん家

ななんちを癒しの棲家に

 

何も持たず存在する

数年前、長女から本をもらいました。

 

「何も持たず存在するということ」角田光代著 f:id:y77:20130510165938j:plain

エッセイ集です。

もらって何年にもなりますが、時々開いては読んでいます。

正直、なかなか意味深なタイトルの本をくれたなと思いました。

村上春樹ファンの彼女の蔵書からはみだしたのでしょうか。

 

今日は、読書日和ですので、ぱらぱらめくってみました。

あとがきを読んでその答えがわかった気がします。

 

 そのあとがきの一節を書き出します。

 

   私は日々、人に、小説に、音楽に、風景に、言葉に、食べ物に、

  多少とも影響を受けて過ごしている。それらがいつまでも身近にあると

  無意識に思っている。でもそうではない。かつてあったものは失われる。

  あるいは変形する。それでもそれは、かなしいことではない。

  なぜなら私の内に残っているから。

 

   身近にあると思っているものは、気づかないうちに、かたちを変え

  消えていく。だから結局のところ、何かもっているつもりになっても、

  私は何も持っていないのだろうと思う。

  何も持っていないからこそ、今、身近にあるものによって、私自身も

  かたちを変えていけるのだろうと思う。

                     (角田光代エッセイ集より)

 

 

 

 

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    …持っているつもりでも   

    …本当は何も持たず

    …存在しているんですね