何も持たず存在する
数年前、長女から本をもらいました。
「何も持たず存在するということ」角田光代著
エッセイ集です。
もらって何年にもなりますが、時々開いては読んでいます。
正直、なかなか意味深なタイトルの本をくれたなと思いました。
村上春樹ファンの彼女の蔵書からはみだしたのでしょうか。
今日は、読書日和ですので、ぱらぱらめくってみました。
あとがきを読んでその答えがわかった気がします。
そのあとがきの一節を書き出します。
私は日々、人に、小説に、音楽に、風景に、言葉に、食べ物に、
多少とも影響を受けて過ごしている。それらがいつまでも身近にあると
無意識に思っている。でもそうではない。かつてあったものは失われる。
あるいは変形する。それでもそれは、かなしいことではない。
なぜなら私の内に残っているから。
身近にあると思っているものは、気づかないうちに、かたちを変え
消えていく。だから結局のところ、何かもっているつもりになっても、
私は何も持っていないのだろうと思う。
何も持っていないからこそ、今、身近にあるものによって、私自身も
かたちを変えていけるのだろうと思う。
(角田光代エッセイ集より)
…持っているつもりでも
…本当は何も持たず
…存在しているんですね